同形異義語 その1

習い始めの頃、日本語と同じ漢字なのに表す意味が違う、という
点に興味を惹かれ、同形異義語を調べまくっていた(簡体字による
差異は考慮しない。「農業」と「农业」は同じ漢字として考える)。
自動車のことを、「汽车」と表現したり、「手纸」は、ちり紙、
トイレットペーパーのことだったりするのを見て、では日本語の
汽車は何というのだろう、手紙はどう表現するのだろう、などなど、
けっこう好奇心を刺激されながら勉強を楽しんでいたと思う。
更に勉強が進み、今度は動詞などのニュアンスでもいろいろと
差があることに気がつく。相手の会社に資料を渡しながら、
「どうぞよろしくご検討ください」というのは、日本語ではよく
あることだが、これを「请您检讨一下」とか言うことはできない。
「检讨」は、反省するという意味になってしまう。「检讨会」は
反省会、「检讨书」は始末書なので、取引先に対しては使えない
言葉である。
こういうふうに考えると、同形異義というのは実にややこしい
問題を孕んでいると思う。漢字が同じなので、どうしても
母国語の意味に引きずられてしまう。中国の日本語学習者も全く
同じ条件で、「あなたは親切な人です」というつもりで、
「あなたは熱心な人です」といったり、「親しみを感じます」
というつもりで、「親切を感じます」と表現したりする。
外国語なのだから、それを意識して、別物として語感を育てて
いかなければいけないのだが、それが言うほど簡単ではない。
簡単でない理由のひとつは、異義語と一口に言ってもいくつかの
タイプがあるからだと思う。

1.全く意味の異なるもの。上記の「汽车」のように。
2.意味的に重なる部分が多いが、中に別の意味も含んでいるもの。
3.ほぼ同じ意味なのに、品詞が異なっていたり、褒貶など
ニュアンスに差があるもの。

このうち1.はわかりやすく、覚えやすい。2.と3.が大変である。
2.の例を挙げると、「講師(讲师)」。共通の意味は、「大学などで
教授・助教授に準ずる職位」だが、日本語には、講演会などで
講演する人、という意味がある。中国語ではこの場合、「讲师」とは
言えず、「演讲者」としなければいけない。3.だと、例えば「境地」。
中国語では悪い意味にしか使わない(大家的反对使他处于孤立的境地
みんなに反対されて彼は孤立する羽目になった)。日本語では、
褒貶は特定されておらず、中立的なので「悟りの境地に至る」
などと言える。この場合の境地は中国語では「境界 jìngjiè」という。
ならば、日本語の「境界」は中国語では? とか考え始めると、
頭が混乱してくる。
最近、勉強中の下記の翻訳教材で、いくつかの異義語を学んだ。

「部署 bùshù」 動詞の意味しかなく、配置する、配備する、
ということ。

「系统 xìtǒng」 日本語と同じ意味と、システムという意味しか
知らなかったが、警察など公共機関内の一部門、
という意味にも使うことを知った。
「健全 jiànquán」健全な、という形容詞の意味のほか、法律などを
整備する、整える、という動詞の意味のあることを知った。
「健全法规」とか見ると、健全な法律と、ついつい訳して
しまいそうである。
「未来 wèilái」 日本語と同じ意味のほか、天気予報などで
「未来两三天」なら、この先2,3日、と訳す必要がある。

同形異義語ははなはだ厄介な存在ではあるが、しっかり把握していくと、
語感を磨くことになるし、コミュニケーションの礎になる。楽しみ
ながら、習得したい。


★本日の学習進捗状況
「300例」は、予定より遅れ気味。

1.単語帳(Campus Wide)
11冊目 29ページ目(全69ページ、1ページに30単語)

2.論説体中国語読解力養成講座
78ページ目/132ページ

3.中国語表現300例
76ページ目/156ページ

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