第85回中検

どうも出張ばかり多くて、じっくりとブログを書く余裕が
ない。ほぼ1週間遅れになってしまったが、先週の中検を
振り返ってみたい。場所はもうおなじみになった某大学
キャンパスながら、今回の会場は建屋がいつもと違った。
大きな階段教室だが、中国の地方大学のそれに比べれば、
それでも小ぶりな方だと思う。準1級は受験番号から行くと、
全部で63名で、数名の当日欠席があった模様である。
男女相半ばだが、かなり若年層が目立った。最近になって、
少しずつだが、受験者数の回復が見られるような気がする。
盛況であると、なんだか勇気づけられるような錯覚に陥る。
ともかく、ただひたすら中国語産業の景気回復を
祈るのみである。さて内容の分析だが、今回もいまいち
出来栄えがよくなかった。まず、リスニングの大問1、
これはなんとか、無傷で切り抜けることができた。やれやれ。
ところが、大問2の方はなんとふたつも落としてしまった。
リスニングは本当にいつもすんなりとはいかない。特に
十分に聞き取れて、よく理解できている(と思いこんでいる)
だけに、2つも、というのはショックが大きい。今回も
理解力不足が祟った。ディクテーションの方は、全部書けた、
と思いきや、1か所「它」と書くべきところを、「他」と
してしまった。これなどは,あとで気を付けてチェックすれば、
防げたミスなので、やはり悔しい。「tā」が出てくるときは、
要注意である。今回も、5問とも短い文で大いに助かった。
読み上げスピードは速いけれども、短いとなんとかなる。
1問が数個のコンマを挟みながら、延々50文字、なんてのは
いただけない。今回は5問すべて20文字程度だったと思う。
字の間違い、汚すぎて読めない、というようなハプニングが
なければ、48点くらいは行きそうである。というわけで、
リスニング合計で90点に及ばず、ということで収束して
しまった。
筆記の方も似たり寄ったりで、依然パッとしない。まず大問1は、
これは幸い無事に通過できた。大問1はいつも鬼門なのだが、
今回は珍しく、特に迷うこともなく進めたのはうれしい。
大問2は逆にいつも比較的好調なのに、今回は2つも落とした。
1つは全く分からず、実力不足。もう一つは勘違いによる
ものである。「缺欠」は、何か借金か、欠損のようなものを
指すのかと思ったが、間違いだった。語彙力不足である。
大問3の方も語彙力不足で1つ落とした。「倒牌子」は全く
知らなかった。空隙を突かれた感じである。もっと
勉強しなくっちゃ。その次の中文和訳だが、まずピンインを
漢字にする問題は、無事に通過できたと思う。そのあとの
第1問目。問題の趣旨は、「植物園では花を盗む人が多いが、
人手不足で、入場客の全てを監視するわけにはいかない」
ということで、私としては、趣旨=日本語訳、と思って
しまうところがあって、そのあたりがいつも模範訳との差が
生じてしまい、減点される原因になっている。協会訳例は
「植物園では人手が足りず、あちらを見れば、こちらが
見られずというありさまである」となっている。なんとなく
冗長で、入場客に対する監視、という視点が表れておらず、
よい訳文とは思えない。原文は「植物园人手有限,顾得了
这头儿,顾不了那头儿。」である。意訳が
いつもいいとは言わないが、やはり、趣旨はしっかりと伝わるもので
なければならないと思う。和文中訳の方は、大きく外しては
いないと思うが、例によって減点は結構あると思う。
というわけで、全体予想は、170点ぎりぎりのイメージである。
とにかく、リスニングと語彙力増強が引き続き、ほぼ永遠の
課題である。

★本日の学習進捗状況
1.単語帳
14冊目 6ページ目(全29ページ、1ページに30単語)

2.百年中国散文精选(1〜425ページ)
19ページ目
1.洪水与猛兽 蔡元培  読了
2.少年中国说 梁启超  読了
3.秋夜    鲁迅   読了   
4.雪     鲁迅   読了
5.从百草园到三味书屋 魯迅  読了
6.故乡的野菜     魯迅  読了

3.中国語作文−その基本と上達法(1~253ページ)
46ページ目

4.音読「三国志演義」(10−67ページ)
27ページ目

5.音だけを聞いて長文を暗記する「耳が喜ぶ中国語」(全110課) 
13課

6.論説長文読解「ビジネスリテラシーを鍛える中国語 I」(1課〜30課)
進まず。

•祖國的陌生人 p259(余華:活在喧囂的國度)
這可能是余華第一次接受大眾媒體的採訪,以《北京青年報》
在當時的影響力,採訪使余華收到了一個小說家都想像不到的
後果──他兒子的幼稚園老師找上門來,詢問能否幫助她的兒子
上小學,因為他顯然是個名人。
余華が大衆メディアのインタビューを受けたのはこれが初めて
だっただろう。「北京青年報」の当時の影響力はものすごく、
このインタビューは一介の小説家が想像もし得ないよう
な結果をもたらした。余華の息子の幼稚園の先生がわざわざ
訪ねてきて、彼女自身の息子の小学校入学を斡旋することは
できないかと頼まれた。余華はことほどさように、有名人に
なっていたのだ。