意合文 その1

近頃は、とんと聞かれなくなったが、以前は意合文という
言い方があった。中国語は、文法の研究がヨーロッパの
言語ほどには、確立されていなかったためか、文法的
規則よりも、文章全体でなんとなく意味が取れたらいい、
というような風潮があった。意合的な、というのは、
やはり省略された文章を言うことが多い。その後、研究が
進み、「中国語には文法がない」などという人は、いなく
なり、この言葉も徐々に廃れてきた。
日本語だと、なんといっても人称代名詞の省略が激しい。
代名詞なんかなくても、日本人ならなんとなくわかる
でしょう?というノリだ。

A「リンゴ好き?」
B「うん、好きよ。」
A「(リンゴを差し出しながら)あげるよ。さっき、
  もらってきたんだ。」

短い会話文だが、ひとつも人称代名詞がない。このあと、
この会話が延々と続いたとしても、おそらく人称
代名詞はそれほど、出てこないだろう。ところが、この文を
外国語に訳すと、Iや、youや、toiや、moiや、你や、我が、
所狭しとそこらじゅう、乱舞する。

「彼は彼のズボンのポケットから彼のお金を取り出し、
彼の家で彼を待っている彼の子供たちのためにケーキを
買った。」

他人のズボンのポケットから、お金を取り出したりすると、
警察が黙っていないわけだから、いちいち「彼」を
連発しなくてもいいはずだが、いわゆる「訳文調」の文で
ときどきこういうのを見かける。ことほどさように、
外国語では、人称代名詞が頻出する。

朝鮮語は敬語がとても発達しているので、人称代名詞の
省略が行われるが、日本語ほどではない。敬語を使われて
いる対象がすぐわかる場合、特に2人称の場合、人称
代名詞が略される。

では、わが愛すべき中国語では、どんなときに意合的な
形態が現れるのだろうか。(つづく)

★ 本日の一文

人不可遍为,宜乎各致其能以相生

人は、全てのことを自分ひとりでできるわけではない。
おのおのが能力を発揮し、互いに助け合って生きて
いくのだ。


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