型にはまる、という表現をよく耳にする。定型化して自由が
利かないような状態をイメージしてしまうが、外国語の学習の
ときに、この「型」はどのように作用しているのだろうか。
相原 茂先生の著作だったと思うが、中国の小学校で、先生が
生徒に「ブタ」の絵を描かせる話が出てくる。それによると、
中国の教育法では、先生がまずお手本の「ブタ」の絵を描き
(丸々と太った体や、クルッと巻いたしっぽなど、特徴的な
部分を誇張して)、生徒は、その上に半透明の薄紙を当てて、
上からなぞっていく。上手になぞれた人が、当然いい成績を
取る。本物のブタを見て実写したり、生徒の自由な発想に
基づいて絵を描くのではないということらしい。先生の描く
「ブタ」だけが正しく、それ以外は全て「ブタ」ではない、
間違いだ、ということを授業で徹底的に教える。正に画一的、
「型」にはめてしまう教育法である。日本で一世を風靡した
「ゆとり教育」や「放任主義」だと、「さあ、皆さん、自由に
ブタの絵を描いてください」と全てを生徒の自主性に委ね、
「痩せていて、木に登ったり、空を飛んだりする」ブタが
登場しても、あまり気にしない。宮崎駿のアニメにもそういう
ブタが存在したかと思う。「自由な発想」や「子供の個性」を
最大限、尊重するのである。さて、どちらが望ましい教育か。
もちろん、両方とも極端なので、その中間が望ましい、という
意見も出てくると思う。この場合、「型」にはめてしまう
デメリットについては、大体想像がつくし、大方の意見が
一致するのではないだろうか。では「型」にはめてしまう
メリットの方は何か。中国でこの方法を採用している以上、
きっと何か理由・目的があるはずである。それは「きっちりと
スタンダードを教える」ことによって、初心者に正解から
「大きくは」、はずさせないようにする、という、狙いだと
思う。基礎も、何もよって立つところもない初心者に
とっては、やはり頼れるスタンダードが欲しい、それさえ
しておけば、なんとか曲がりなりにも所期の目的が果せる、
という保証が欲しいはずである。それを提供してくれるのが
「型」である。先生の描いたとおりのブタを描いておけば、
世間の皆さんは、それをブタの絵であると認めてくれるの
である。空を飛んでいたりすると、そういう保証はなくなって
しまうのである。周囲を見渡すと、おけいこ事と武術の
世界では、ことごとくこの「型」の思想が行き渡っている。
華道・茶道・合気道・空手・柔道・剣道・弓道・三味線・
小唄・長唄・詩吟・日本舞踊、能・狂言、囲碁・将棋・・・・、
海を渡れば、テコンドー、太極拳、ヨガと、型を覚えずに
上達できるものは何ひとつない。全て「型」を、体に
しみこませることからスタートする。段位を設けている
世界では、大体この「型」を全て、完全に習得した段階を
「初段」に位置づけていて「入品(にゅうぼん)」と
称している。そこから先は、今まで覚えた「型」を全て
ぶちこわし、創造の世界へ入っていく。ここから先は、
それこそ各人の個性が光り、才能が耀く円熟の時代に
昇華していくのである。どうせぶちこわすのなら、
最初から「型」にはめこまなければいい、などと言って
いてはいけない。全て、省けない必須の過程である。
ひるがえって、中国語学習をこれに当てはめると、
うーん、なんとも、初段までの道のりがやたらと長い
気がする。私なんか、永遠に入品できないのでは
ないかと、恐れている。とにかく、単語・文法など、
各部門全てに「型」があると思ったほうがいいと思う。
それを体得してからの、「会話」であり、「作文」で
なければならない。いずれにしても長い道のりを
重い荷物を背負って歩いていくイメージは常に
持っておきたいと思う。

★本日の学習進捗状況
接待宴会続きでバテ気味。今日からまた本格的に始動したい。

1.単語帳(Campus Wide)
11冊目 21ページ目(全69ページ)
2.論説体中国語読解力養成講座
59ページ目/132ページ
3.中国語表現300例
29ページ目/156ページ

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