会話するということいついて

会話は、相手の言うことを聞き取り、かつ文を構築して発話し
なければならない。普段からの練習の集大成というか、かなり
総合的な力量が要求される。当然、発音・語彙・文法、どれが
欠けていてもいけない。もちろん、トイレの場所を聞くとか、
店で物の値段を聞くとか、短時間で簡単に終わるものもあるから、
総合力が必要といっても、それはある程度、内容のある高度の
会話において、という意味である。練習方法は、リスニングの
練習ブラス作文の練習であるが、口が滑らかに動くように
音読の方も鍛えておくべきだと思う。巷間の会話の教科書では、
なんの脈絡もなく、いきなり簡単な会話から入っていこうと
するものがあるが、そういう会話本が役に立つ例はまれだと思う。
また、役に立ちそうな場面があるとしても、その程度のことなら
ジェスチャーぐらいで事足りてしまう。他の学習要素から離れて、
会話だけが上手にできるようになる速成の勉強方法は存在しない。
しかし、人々の「外国語会話」への憧れは強いため、いかにも
会話だけが簡単にできそうに見せる教材や学校は相変わらず、
非常に多い。リスニングや作文が自分と向き合う作業であるのに
対し、会話は必ず相手を必要とする。となると、語学以外にも、
いろいろと気をつけなければいけない点が出てくる。母国語で
会話するときも共通だが、会話のマナーのようなものは、
守らなければならないだろうし、討論会なら、最終的に結論の
ようなものをひねり出さなければならないし、親睦会なら
場を楽しく盛り上げなければならない。更に外国人との交流と
なると、風俗習慣の違いまでも視野に入れて、失礼にならない
ように注意しなければならない。「困った慣用句」の記事の
ときに書いたように、日本語では普通の表現なのに、それを
そのまま中国語に訳すと、とんでもない意味を持つ、という
ような場合もある。生活上の禁忌も大いに異なり、中国の方が
日本よりわずらわしいと思う。そこへ、イスラム教の友人が
加わると、また一風異なった空間が出現し、新たな禁忌が
増える。逆に向こうの日本の風俗習慣・考え方への無知から
くるいろいろな所作も寛容に受け止め、必要に応じて、
修正してあげなければいけない。このように見てくると、
会話はやはり、最も難しい作業なのかもしれない。1時間も
やっているとどっと疲れが出てくるし、ストレスもたまる。
しかし、それらの苦労を全て帳消しにするだけの魅力も
会話にはあると思う。と同時に、語学や他の実力も合わせて、
自分全体が透き通って見えてしまうので、気をつけなければ
いけないと思う。

☆さて、またまたTECCに中検と、中国語の試験の季節がやってきた。
 準備のため、本ブログの更新をしばらく停止し、引きこもりたい。
 6月末に再開予定である。試験に挑戦される皆さん、ご健闘をお祈り
 します。共に頑張りましょう!

★本日の一文
最崇高的荣誉不在于永远不摔倒,而在于每一次摔倒都能立起。
最も崇高なる栄誉は、永遠に転ばない、ということではなく
何回転んでも必ず起き上がることができる、という点にある。

にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村