一種の慣用表現の特徴

ヨーロッパの言語には冠詞があり、これをうまく利用して
慣用表現を作っている例によく出くわす。

Vanno alla scuola
彼らは学校へ行く(学校という建物に向かって移動する)
Vanno a scuola
彼らは学校へ行く(学生という身分である)

He went to the sea
彼は海に行った(海の方へ移動した)
He went to sea
彼は海に行った(船乗りになった)

日本語や朝鮮語や中国語には冠詞がない。慣用表現を形成する
場合に、3言語のうち日本語と朝鮮語は全くのノー・
マーカーだが、中国語には「語順」という手段があり、慣用表現の
演出に一役買っている。
「吃食堂」。これをVO構造と、理解してはいけない。食堂の建物
なんて、まずくて食べられない。訳文は、「食堂で食べる」だが、
以下のように並べて比較すると、普通の文章とは少し様子が異なる。

A 他经常在食堂吃饭
B 他经常吃食堂

Aの方は、無色透明無味無臭の平叙文だが、Bの方は訳文が同じでも、
その含意は異なる。すでにイディオム化が始まっていて、「いつも
食堂で外食だなんて・・・」

・あんな安月給で大丈夫か
・栄養が偏りはしないか
・最近、奥さんとうまくいってないんじゃないか

というような裏の意味が生まれているか、または生まれる
途中である。「学大学」も同じ理屈である。

C他在大学学习
D他学大学

Cは含意のない文で、Dは「大学生という身分」を表している。
つまり、Cの「他」は大学生とは限らず、一般の人が大学の
自習室を借りて勉強していてもよいのである。他にも同種の例を
羅列してみる。

「跑外地」外で走る→外勤のセールスマンである。
「褰飞机」飛行機で急いでいる→離陸まで、あまり時間的
     余裕がない。
「骂大街」人にもよく聞こえるように(他の人にはお構いなく)、
     大きな声とアクションで罵る。
「唱白脸」白い顔で歌う→(京劇では悪役は顔を白く塗っているので)
     わざと憎まれ役を買って出る。
「唱红脸」(上記の反対で、善玉は顔を赤く塗っているので、)受けの
     良い方に回る。
「听墙根」壁の下の方で聞く→こっそりと人の話を盗み聞きする。

まだまだいっぱいありそうだが、これらに共通の特徴は一見VO構造
みたいで、実はそうではない点である。また名詞述語文ではないのに、
それと同じく、属性(身分や職業)を表すものが多いと思う。


★本日の一文
一个人的价值,应当看他贡献什么,而不应该看他取得什么
人間の価値は、どんな貢献をしたかで決めるべきであって、
何を得たかで決めるべきではない。

にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村