酒を飲むように

よく人に、中国語をどのように勉強していますかとか、どの
くらい中国語ができますかとか、聞かれる。正確に答えようと
すると、ひとことでは答えにくい質問である。客観的には自分の
受けた中国語試験の結果を披露するのが、実力判定上、
いいのかもしれないが、それでもまだ、不十分なような気がする。
自己客観的に整理してみると、下記のような現状になると思う。
1.実力
試験で言うと、今までに中検とTECC(この2つは現在も継続)と、
旧HSKを受けた。新HSKは受験申し込み手続きが、むちゃくちゃに
煩雑なため、まだ申し込んだことがない。死ぬまでに一度くらい
受けてみたいと思う。中検は記事にもよく書くように、準1級を
クリアし、1級を目指して勉強中の状態であるが、この「状態」は
かれこれ20年近く続いている。いい加減、卒業しなければ、
と思うものの、なかなか達成できないでいる。ペースメーキングの
目的で、準1級も引き続き受け続けている。TECCも毎回参加で、
平均点は960点くらい。最高点は991点で、これもしつこく
受け続けている割に、まだ満点を取ったことがない。早く満点を
取って、晴れて卒業としたい。TECCのいいところは、申し込みが
非常に簡単なこと、試験はかくあるべきと思う。旧HSKも中途半端で
10級どまり。この試験は、長丁場の体力勝負みたいで、
受けごたえがあり面白かったが、今は受けていない(まだ
実施しているのかしら)。
「読む」能力はまだまだで、一瞬意味の取れない文章に
出くわすことが多い。考え込んでしまう、ということは、基本文型が
充分に理解できていないのかもしれない。文字は全て読める、つまり
ピンインで正しく書き表し、それを発音できる。「全て」というのは
もちろんウソで、地名用字とか、たまに読めないものもあるが、
ウソをついてもばれない程度に常用字はすべて制覇できていると思う。
当然、読めても意味のわからない単語はたくさんある。新出単語でも
発音だけは見てすぐわかるので、辞書を引くのはすこぶる速い。
単語力は以前にも書いたが、8000語程度はあると思う。そのうち、
自分で自由に駆使できるのは半分くらい、残りは見たり聞いたり
したときに理解できる、という程度である。「書く」能力は更に劣る。
文章は何回も推敲、修正しないと完成しないし、中検でも、一番点数の
悪い部門は、和文中訳である。文章はくだけた会話体よりも、
引き締まった文章語に魅力を感じる。もちろん両方とも駆使できるように
なりたい。10年ほど前から、仕事でも中国語を使うようになり
(それまでは完全に趣味、道楽のたぐい)、日本人とは日本語で、
中国人とは中国語で話すようになった。仕事で使えるレベルというと、
対外宣伝的には聞こえはいいが、実は出てくる単語や表現はひどく
マンネリ化していて新鮮味がなく、勉強よりも「慣れ」でカバー
できる部分が圧倒的に多い。夫婦・恋人間で中国語を使う、などと
いうのも同類で、少ししゃべれるようになると、すぐに頭打ちになる。
その後もハードにインプットを続けていかないと、その人の語学はかなり
低いレベルでストップしてしまう。仕事柄、会議の冒頭などで、
スピーチをさせられることが増えたため、定型的な挨拶言葉や、経済
関係用語などは、以前より明らかに上達した。「聞く」方も、かなり
大変である。テレビ・ラジオのニュースは、必死で神経を集中させて、
なんとかついていける程度である。もちろん、聞き取れない単語も
あるので、それは捨てながら、ひたすらしがみついていく、という
イメージ。テレビの前で、何も考えずにぼうっと座っているだけでは、
中国語の音声は雑音にしか聞こえない。普段の中国人との会話も同様で、
頑張って聞いていれば、まず理解できるが、緊張がなくなると、
聞きなおさなければならない羽目になる。もっともっと耳を
慣らさなければいけないと思う。当然、標準の普通話をベースに
勉強しているので、中国各地のなまりのある言葉や、京劇・地方劇の
セリフ、発音のヘタクソな日本人の中国語など、条件が悪くなると
聞き取り率は更に落ちる。発話のスピードが極端に上がっているときも、
同様に困難を感じる。
2.勉強する態度
具体的な勉強方法については、以前の記事に何度か書いたので、
ここでは省略する。考え方や態度だが、一般的な語学学習者と自分の
間には大きな隔たりがあると感じる。一番の違いは計画性。
「目標を定め、それに向けて計画を立てる」、「計画は、長期、中期、
短期の3種類に分け、時間割を設定する」などなど、かっこいい内容を、
同学のブログや、勉強法を書いた本の中でよく見かける。そうだ、
そうしなければ、と思って、自分も始めるが、まず続いたためしがない。
仕事の方は計画に沿って進めるようにしているが、中国語の勉強では、
とたんにおっくうになってしまう。家の中には、やりかけの参考書・
問題集、読みかけの小説が、うずたかく積みあがっている。出発は
いとも簡単にするが、ゴールがない。身はいつも虚無縹渺の間に
漂っている。地に足が着いていない状態である。今後ともだらしなく
中国語の勉強を続けていくことと思う。まるで、昼間から
飲んだくれている酒飲みが、酒を飲むのと同じように中国語を
勉強している。酒飲みはまさか、今日中に、薩摩産の焼酎を飲み終え、
熊本産との味を比較吟味する、然るのちに、ボルドー産とリヨンの
赤ワインを飲み比べて、ブレンドの差を研究し、今年中にはスコッチ・
ウィスキーに関する論文をまとめあげる、とかの目標と計画を掲げ、
酒を飲んでいるわけではない。好きだから、毎日グビグビと
やっているだけである。中国語が上達しても、給料が上がる
わけでもなく、異性にチヤホヤされるわけでもなく、カードの
ポイントがたまるわけでもない。何かをするための手段ではなく、
それそのものが唯一かつ最終の目的になっている点が大いに
異質であるのかもしれない。

★本日の一文
人之才,成于专而毁于杂
何事も専心すれば成功し、粗雑になれば
失敗する。

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