私の留学体験記

学生の頃、外国へ1年間、留学したことがある。今でも若干
さしさわりがあるので、「某国」としておく。でも勘のいい方、
外国の事情にお詳しい方は文の内容から、おおかたどこの国か
想像がつくかと思う。
某国語は今でこそ、猫も杓子もオタマジャクシも勉強する人気の
外国語であるが、当時は「何 それ?」と聞き返されるほど、冷たく
あしらわれる、希少価値の優れて高い外国語であった。だいいち、
まともな辞書がなかった。解釈はフランス語を媒介言語にして、
わからない単語に出会うと、まず某仏辞典で調べ、それから
仏和辞典を通して理解した。某作文のときは逆の流れで、
和仏辞典→仏某辞典の順番に調べた。原語のニュアンスも何も
あったものではない、最悪のやり方であるが、他に方法がなかった。
目的の大学には寮がなく、学生課で下宿先を紹介された。学校から
歩いて5分ほどのところにあって、とても便利だった。子供さんが
自立したあとの子供部屋を留学生に提供して家賃収入を得ている
おばさん(おばさんか、おばあさんか微妙な年齢であったが、
記述の都合上、以下「おばさん」で統一)が家主であった。
朝ごはんがついて、希望すれば簡単な夕食も作ってくれるので
ありがたかった。昼は主に学食で食べていた。家賃はまかないつきで、
1ヶ月1万円ほど、学食は1食200円ほどで、300円も出すと死ぬほど
食べられた。物価は信じられないほど安く、必死のアルバイトで
ためた30万円ほどのお金で、1年間、なんとか乗り切れそうな気がした。
午前中は4時間ほどの授業に出て、昼からは下宿に戻って、勉強した。
昼からの勉強時間は毎日8時間ほど(これが勉強法の項目1と2に
当たる)、午前中の授業は項目3として利用し、先生に質問し続け、
発音のまずいところを直してもらった。ほかの事は、本当に何も
しなかった。洪水のように押し寄せてくる、全ての「せっかく」を
ことごとく撃退しまくったのである。大学は金儲けのために、午後や
日曜日にいろいろな有料イベントを用意し、募集していたが、全く
参加しなかったし、他の日本人との交際も必要最低限のご挨拶だけで、
最高に付き合いの悪い変人として、次第に声をかけてくれる人も
いなくなった。
下宿のおばさんはホームパーティが大好きで、日曜日のお昼に
お友達を招待して、ごちそうを振舞っていた。その準備のため、
朝7時ごろから下ごしらえを始める。他の下宿生は前の晩、
飲んだくれて死んだように眠りこけているか、早々と彼女と
デートに出てしまっているかで、料理助手は毎回、私が
勤めさせられた。エプロンをして、おばさんの横に立ち、
おばさんの指示通りに、なすを刻んだり、にんじんの皮を
むいたりする。私は手先が非常に不器用なため、これだけ熱心に
奉仕をし続けたにもかかわらず、ついにおばさんの優れた料理技術を
盗むことはできなかった。そのかわり(あまり「代わり」にはなって
いないけど)、「サッと湯通しして、タンザクに切る」とか
「フライパンに薄く油を引き、両面がキツネ色になるまで焼く」などの
フレーズは某国語でスラスラと言えるようになった。私に手伝いを
させながら、おばさんはいつも懇々と説教を繰り返した。内容は
ワンパターンである。
「だいたい、オマエは勉強方法が良くない。若い男がいつも薄暗い
部屋で壁に向かって、悪魔に取り付かれたように本ばかり読んでいる。
体に良くないし、社会のためにもならない。街へ出ろ。そして道行く
オンナに声をかけて、ナンパせよ。オンナをひっかけ、オンナを
モノにする、そうすれば語学なんて副産物のように自然に身に
つくのだ。」・・。せめて、「女性」とか「ガールフレンド」とか
言ってくれれば、文章全体が柔らかくなるのに、このおばさんは
いつも、吐き捨てるように「オンナ、オンナ」と言う。よほど
オンナに深い恨みでもあるにちがいない。しかし私はついに、
このありがたいアドバイスを実践することはなかった。それは、
自分が声をかけたぐらいで振り向いてくれるような異性など
いるわけがないという、揺るぎない自信に裏打ちされていたから
だけではなく、すでにハタチにして、何が語学の上達につながるかを、
うすうす感じ取っていたからだと思う。オンナも仕事も「言葉を
使わざるを得ない環境」も上達の役には立たない(逆はひょっと
したら、真であるかもしれないが)。あくまでも孤独に戦わなければ
ならないのである。というようなわけで、体に良くない方法で黙々と
勉強をし続けた。土日、祝祭日は12時間ほど閉じこもって勉強したため、
授業に出ている時間を算入しなくても、年間で優に3000時間近くを
勉強に費やしたことになる。ここまでやれば、さすがに上達する。
大学では飛び級で、一番上のクラスに入れてもらい、更に留学生クラス
ではなく、一般の現地人大学生の通う文学部に編入してあげよう、
とかいうお誘いもいただいた。全課程終了時には、外国で某国語を
教える先生になってもいいですよ、と書いてある立派なお免状の
ようなものまで、一般の修了証書とは別にいただいた。期の途中では、
こちらから申請しないのに、大学側のはからいで、「国家奨学金」
という厳かな名前のお金も支給してもらった。1ヶ月で1万5千円ほど
もらえた。下宿代を払ってもおつりがくる大金なので、生まれて初めて
その土地の高級レストランに食事に行ったことを、今でも鮮明に
覚えている。本当においしかった。ただこのときも、一緒に行って
くれる友達はいなくて、ひとり隅っこの方でさびしく、食事を
したのである。語学力の方は、数十年の時空を経て、今では少し
錆びついてしまったが、小説や新聞は相変わらず辞書なしで普通に
読めるし、テレビのニュースも聞き取れる。まとまった文章を
書くこともできる。少なくともいつも試験に落ちてばかりいる
中国語よりはだいぶマシである。
さて、総決算をすると、この「語学留学」は成功か、失敗か。
人それぞれの見方は価値観によって異なるかもしれないが、
総合的に判断すると、自分ではやはり失敗であると思う。理由は
簡単で、「せっかく」を全く享受できていない。1年もいて、
語学以外になんの収穫もない。同時期にいた日本人の中には、
現地の人と結婚したり、現地で事業を興したりと、充実した人生を
送り、大活躍の人がいるのに、である。もっと言えば、語学に
関しても、ここまでやる根性があるなら、実に日本にいたままでも
低コストで、同等以上の成果が挙げられたはずだからである。
「語学留学」という言葉自体が大きな形容矛盾を含んでいると思う。

★ 本日の一文
万事以心为本,未有心至而力不能者

何事をするにもまず、しっかりと決心を
することが大事である。そうすれば、
なんでも成し遂げられる。

にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ
にほんブログ村