否定の虚辞 その2

悶々として眠れぬ夜が続き、ある朝目覚めると、高校3年生に

なっていた。学校では英語の授業がある。もともと英語は

嫌いなのに、あたまに「受験」の2文字がつくと、もう

逃げ出したくなる。「英語史」とか「西ゲルマン諸語統語論」とか

やってくれればうれしいが、普通の公立校なので、そんな

気の利いたものはない。出席を取られるので、やむを得ず、内職を

始めることにした。テレビゲームとかない時代で、思い切って

フランス語を自主選択第2外国語として、勉強することにした。

家でカセットテープを聴いて発音を覚え、学校ではせっせと

文法を勉強した。半分くらいまで読み進んだ頃、変な例文に

出くわした。Je crainds qu'il ne vienne. この「il」を

仮に借金取りだとすると、「私は借金取りが来ることを恐れる」

という意味になるそうである。主節に感情を表す動詞がきたとき

従属節の動詞は接続法になりますよ、という至って普通な

例文だが、しかし、この「ne」は何だ? これも訳に加えると

「私は借金取りが来ないことを恐れる」になる。悪い予感を

覚えながら、注釈を見ると「虚辞。訳出しない」と書いて

あった。瞬時にして、小学生のときの、あの忘れようとしても

思い出せない忌まわしい思い出が蘇った。

どうして、こんな現象が起きるのか。ものの本によると、

「私は借金取りが来ることを恐れる」という冷静でロジカルな

文章と「いやああん、来ないでっ、来ちゃあダメっ!」という

パニクった感情が頭の中で、綯い交ぜになって発話されるため、

生じる、とのことであった。わかったような、わからんような

説明だが、まあそんなものなのかなあ、とも思う。

最近聞かなくなったが、以前「雨の降らない前に出かけ

ましょう」などという人がいた。世に「雨の降っている」

状態と、「降っていない」状態と2種類しかないとすると

「降らない前」というのは、まさしく降っているときでは

ないのか。

さて、わが愛すべき中国語に、このような面妖な現象はあるの

だろうか。 (つづく)


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