2014年4月の結果

4月は何が何だかわからないままに過ぎ去った。あまりにもたくさんのやり慣れないこと
ばかりしていて、肝心の学習はそっちのけになってしまった。当面は新しい就職先の
職場環境になれなければいけない。交通が不便なこともあって、9:30から16:15までの
6時間勤務にしてもらったが、朝はともかく退勤時は育短のヤングママのように、
定時ににこやかにあいさつをしながら職場を去るのが、難しい風土である。
引っ越し荷物の整理や引っ越しに関する諸手続き、不動産売却の交渉を歓送迎会の
合い間にこなし、くたびれていたところへPCの故障、旧メールアドレスの使用
障害などが重なり、精神的に参ってしまった。というわけで、あまりいいことが
なかった4月だが、それでも徐々にはペースを取り戻しつつある。断捨離が大の
苦手ではあるが、本はbook offへ、衣類はH&Mへせっせと運び、500円の割引券と
交換し、クリーニング屋のハンガーは燃えるゴミか資源ゴミか、悩みながら処分し、
オール電化のIH対応になっていない鍋釜・フライパンも使えないので大量に廃棄した。
以前の状態に完全復帰するのは、いつになるやらわからないが、前回の引っ越しでは
5か月くらいかかったので、今回は3か月ぐらいで落ち着かせたい。そうこうしている
うちにもTECCや中検の時期がめぐってくるのである。

1. 1日平均1万歩
14113歩。多忙でも移動は常に徒歩を心掛け、かつ会社の交通不便を逆手にとって、
運動量増加を図ったのが奏功し、1万4千越えの新記録を樹立した。毎日8kmを
軽く超える歩行距離である(時間にすると2時間弱)。体重は月平均ベースで
0.48kg減。納戸の奥に眠っていた昔のズボンのうち5本ほどが、H&M行きを免れて、
晴れて再度着用できるようになった。このような当落線上ギリギリの衣類はけっこう
多くて、いつもハムレットのように悩んでしまうのである。

2. 中検
一次の結果発表と二次の試験会場の様子は先般、ブログで発表した。今は最終結果
通知待ちの状態である。

3. TECC
あと1か月で受験。

4. 交流促進
特になし。

5.翻訳力強化
新しい進展なし。

5. ニュースを聴く
全然聞いていない。

6. 音読励行
二次試験の前に、口慣らしとして少し文章を読んでみただけ。

7. ディクテーション
毎週の土曜朝の課題のみ。

★本日の学習進捗状況

1.単語帳(Campus Wide)
13冊目 12ページ目(全39ページ、1ページに30単語)

2.百年中国散文精选(1〜425ページ)
19ページ目

1.洪水与猛兽 蔡元培  読了
2.少年中国说 梁启超  読了
3.秋夜    鲁迅   読了   
4.雪     鲁迅   読了
5.从百草园到三味书屋 魯迅  読了
6.故乡的野菜     魯迅  読了

3.中国語作文−その基本と上達法(1~253ページ)
46ページ目

4.音読「三国志演義」(10−67ページ)
27ページ目

5.音だけを聞いて長文を暗記する「耳が喜ぶ中国語」(全110課) 
13課

6.論説長文読解「ビジネスリテラシーを鍛える中国語 I」(1課〜30課)
進まず。

•祖國的陌生人 p144-145(穿梭在歷史的江南)
城南和暢堂上的秋瑾故居,和勝利路上的大通學堂空空蕩蕩,遊人寥寥。那間
督辦室內仍舊是白牆木桌「讀書擊劍」被裝進玻璃框內掛在牆上。好一筆剛勁的字,
就像秋瑾給自己的號−「競雄」。1907年7月13日,她在這間辦公室被捕時,
穿著白襯衫、鄢長褲和皮鞋、英氣十足。這一年她32歲,裹過小腳、做過官太太、
生過兩個孩子、去日本留過學、研製過炸藥、辦過報紙、結過社,在她的朋友的
記憶中,她勇敢、尚武,鍾愛慷慨激昂的演說。一心要推翻滿人的統治,
宣導男女平等。她的性格比她的主張,給人留下了更深的印象,魯迅記得
她從日本歸國前的歡送會上說,「歸國後,若有人投降滿虜,吃我一刀,」
然後從靴筒裡抽出一把短刀,啪的一聲插在演講台上。

城南和暢堂にある秋瑾の旧家と勝利路にある大通学堂はがらんとして、訪れる人も
まばらだった。そこの教務室の中は昔のままの白壁、木の机だった。
「書を読み、剣を撃つ」という文字がガラスの額に収められ、壁に掛けられていた。
たくましい筆致で、ちょうど秋瑾が自分につけた号、「競雄」と同じくらい力強かった。
1907年7月13日、彼女がこの事務室で捕えられたとき、白いシャツ、黒の長ズボン、
革靴を身に着け、英雄的気概に溢れていた。このとき彼女は32歳、纏足をして役人の
奥方になり、二人の子供を産み、日本留学の経験を持ち、爆薬を製造したこともあり、
新聞を発行して、政党を組織したりもした。彼女の友人が記憶しているところでは、
彼女は勇敢で武を尊び、情熱的で激高した演説をこよなく愛した。ひたすら清朝を
転覆させたい思いを抱き続け、男女平等を主張した。彼女の性格は、その主張よりも
深い印象を人々に与えた。魯迅は彼女が日本を去るとき、その歓送会の席上で
「帰国してもし、清朝に投降して捕虜になるような輩を見つけたら、私がこの短刀を
お見舞いするわ。」と言い放ち、ブーツの中から短刀を取り出して,演台にグサッと
突き刺したのを覚えているという。

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