第81回中検

今年も秋の中検が終わった。飛行機に乗って寒い北京まで受けに行った去年の秋からもう1年経つのかと
思うと感無量である。今回の会場では、入り口で教室案内が係りの人によって配られていた。とても
親切である。この表によると、もし申し込んだ人が全員参加されたとすると、各級ごとの受験者数は、
次のようになる。
準4級 123人 このクラスは中国語産業の行く末を占うバロメーター。日中関係の悪化で相当減った
感じがする。いつもは中小学生でもっとにぎわうはずである。
4級  240人 ここも少し寂しい。教室は3教室のみ。
3級  362人 最も人数の多い人気のクラス。それでもこの数は少ないと思う。
2級  194人 いつも200人前後なので、ここは正常。
準1級  31人 今回から2次試験導入なので、減ったかもしれない。1教室のみ。
1級   19人 ここは全員参加だった。やはりこのクラスは女性が圧倒的に多い。そして、皆さん
とても聡明そうに見える。

天気もよく、オツムも冴えて、元気よく会場に臨んだけれど、結果はかなり悪かった。
まず午前中に行われた準1級。リスニング第1問はひとつ落としてしまった。45点。
第2問のディクテーションはなんと、「钻研」と「诗歌」が書けなかった。「诗歌」は、あとから
気がつくてんかんやまい、で、監督官のオネイサンに解答用紙を手渡す瞬間に気がついた。ハッと
声を上げ、オネイサンを思わず、じっと、じっと見つめてしまった。誤解されたかもしれない。
うりざね顔の典型的な中国美女だった。漢字ひとつ1点だとして計算すると、減点法で46点になるが、
書き間違いや字が汚いこともあるので、もう少し点数は低いかもしれない。従って、リスニング合計は
80点台後半、というところ。次に筆記だが第1問は無傷で切り抜けたと思う。第2問は2つも落として
16点。第3問も2つも落として12点。第4問は、何点もらえるか、ちょっとわからない。意味は
完全に把握しているが、どうも中検さんの模範解答のようには、ちょっと気持ち悪くて訳せない。
そんなにひどくはないと思うが、18点くらいで、いつもと変わり映えしないだろう。第5問の和文中訳も
同様だが、少しは座学で練習を積んでいる効果があったと思いたい。16点くらいはつけて欲しい。筆記は
これでやっと80点くらい。歴代稀に見る低得点になってしまった。ヤケ気味で昼は地下のカウンターの
店で、茶髪のオネイサンが目の前で焼いてくれる豚焼きそばの大盛りを平らげて、コーヒーも1杯
飲んでから、気を取り直して午前中と同じ教室へ戻った。午後は1級。申し込み者全員参加で、19人の
受験生が、大きな教室の半分に身を寄せて受験する。午前中のうりざね顔はいなくなって、代わりに
日馬富士のように屈強そうなオバサンが、詰まる音と長音のない日本語で注意事項を読み上げてくれた。
「ごひ」というのは、「合否」のこと、「けか」というのは、ケガではなくて、「結果」のことである。
どうせ自分の中国語も中国人には、このように聞こえているんだろうな、とか思うと、恥ずかしがって
黙っている場合ではない、日馬富士のように突きと押しで、優勝を目指して前に出て行かなければならない、
と改めて自覚した。まず、リスニング第1問、これも準1と同じくひとつ落としてしまった。意味は
抜かりなく掌握していただけに、とても悔しい45点である。第2問のディクテーションは、惨憺たる
結果となった。ああ、サンタンルチーア。書けなかった、または書き間違った単語は以下の通り非常に多い。
「定格」「欢快活泼」「雨」「舞伴」「常青藤」「永驻」。本当に涙が出てくるような結末である。
まず「定格」。「これはきっと何かのお間違いでございましょう、お代官様」と言いたくなる。周囲の
文章は「终于将那朵花()在蓝色的天空中」で、()のところに入る単語である。当然、誰が見ても
「把構文」になっているのだから、ここは動詞でなければならない。「定格」という言葉は、私は職業柄、
会社でよく使う。もちろん日本語として、である。中国語の「定格」は、手持ちの辞書では実に
「角川中国語大辞典」にしか、収録されていない、古代の文章語だそうで、しかも名詞の意味しかないそう
である。意味は決まった規格。とてもこんなところに嵌められる単語ではない。メールで問い合わせても、
お答えはしてもらえないだろうが、協会に聞いてみたい。来年3月頃に出る光生館の過去問の解説が
楽しみである。またそこらじゅうのインフォーマントのご意見をも仰ぎたい。その他では「雨」と書く
べきところを、なんと「语」と書いてしまった。アルツハイマーである。「欢快活泼」は、とても
そのような発音には聞こえなかった。「常青藤」、この植物にはなじみがない。講談社の辞書には
「常春藤」として載っていた。「永驻」は「永住」と書いてしまった。準1は今年の春から、読み上げ
速度がかなり速くなったが、こちらは以前の「にいいいいいいいいはあああああお」のような読み方なので、
その点は助かる。筆記の方は、第1問を突破できたが、第2問は2つも落とした。第3問も同じく
2つも落とした、残念。第4問のひとつ目は、「让别人的快乐建筑在自己的痛苦上」を、どのように
訳すかだが、迷った挙句、中検好みの直訳にした、がこれが、しっかりと裏目に出た。ここは非中検的な
路線、つまりベタな、直訳は避けるべきだった。16点くらいしかないかもしれない。第5問は可もなく
不可もなく、といったところ。16点くらいはあるかもしれない。いつものように意表の固有名詞訳を
要求されるということがなくて助かった。上記の楽観的な見通しがその通りであったとしても、160点ほど
しかなく、全く届かない。またまた来年までお預けである。中検は、問題が持ち帰られるので、受験後も
あれやこれや賑やかに楽しめて、少しお得感がある。

★本日の学習進捗状況

1.単語帳(Campus Wide)
13冊目 4ページ目(全39ページ、1ページに30単語)
受験前に単語学習に集中したため、一気に13冊目に突入した。

2.祖國的陌生人(6〜275ページ)「向南方」
32ページ目、

3.中国語作文−その基本と上達法(1~253ページ)
47ページ目

4.音読「三国志演義」(10−67ページ)
27ページ目

5.音だけを聞いて長文を暗記する
耳が喜ぶ中国語 13課

•祖國的陌生人 p30 (向南方)
我的旅行來到山西南部,中原地帶的中心。我這一代對「中原之地」耳熟能詳,卻很少意識到它到底意味著什麼?
如果我對於中國文化有所瞭解的話,它遵從的地理區域也先是東南沿海,或是江浙一帶。中國近代歷史的變革中心
來自沿海,而文化中心則一直在江南。歷史變化總是滄海桑田,如今我們談論的是上海、香港、誰還記得臨汾、
商丘與開封?然而、當華夏文明在後者之地興起時、前者還是一片海洋或雜草叢生的亂石堆。
私の旅行は山西省の南部まで来た。「中原」地域の中心である。私たちの年代では「中原の地」といえば、
耳慣れた存在である。でも実際それが何を意味するかは、あまり意識していない。もし私が中国の文化に
対して理解しているところがあるとすれば、その文化の向かうところはまず、東南部の沿海地域、それから
江蘇・浙江省一帯である。中国近代の歴史の変化は沿海地区から起こったが、文化の中心はやはりずっと
江南であった。歴史の変化は絶え間なく目まぐるしい。今、私たちがよく口にするのは、上海や香港である。
臨汾や商丘や開封を覚えている人はいるだろうか。夏王朝の文明の文明がさかえた頃は、後者がまさに
勃興する時期であり、その当時、前者はまだ海の中、また雑草の生い茂る石くれの塊だったのである。
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