ネイティブ

日本語を系統だてて、外国人に教えようとしたことの
ある人は、よく理解されていると思うが、これは大変に
骨の折れることだと思う。教師になる試験があり、
大学に専門課程があるぐらいなので、シロウトがただ
単に日本人であるという理由だけで、簡単に成し得る
ことではない。
この種の技術を持たない日本人が外国人学習者にできる
ことは、
1.音声教材の代用品になってあげる
2.インフォーマント(情報提供者)として、
  知っている情報を提供する(特に発音、単語の
  ニュアンスなど)
ぐらいのものである。日本語の発音がうまくできなくて
困っている人や、文法がわからず説明を受けたい人に
できるようになるまで、納得いくまで教え導く、などと
いうことはできない。自分ができる、ということと、
できない人をできるようにさせる、ということは全く
別物と考えたほうがよい。

ここまでの文章中の「日本」を「中国」に置き換えると、
そのまま中国語ネイティブについての記述になる。
しかも、この点を理解していない人は、日本人より
中国人に多いと思う。プライド先行型の人によく出会う。
彼らは、日本人が四声とか、中国語独特の発音になかなか
習熟しないことが理解できない。そこで、
「まだ慣れていないからでしょう。中国では5歳の子供でも
できるのですから、あなたももう少しして慣れればできる
ようになるはずです。」などという、責任逃れの言葉を
残して去っていく。教わるほうもずっと「慣れる」のを
待つのだが、一向に「慣れる」ことはないまま、時間が
過ぎていく。

ネイティブに対する信仰については、一般に日本人の方が
重症である。倒産した「駅前留学」英会話学校では、
きちんと英語教授法を修めたインド人より、街で飲んだ
くれている紅毛碧眼の白人が、教師としてありがたがられ、
採用される。生徒がそういう人を望むからだそうで、
教師になるとマニュアルが渡され、どこでどんな冗談を
言って、生徒を笑わせるかまで、こと細かに書いてある
という。なので、同じ授業を2回受けた人は、冗談の
内容だけでなく、言うタイミングまで全く同じなので、
驚くという。

もちろん、すごいレベルのネイティブも、たまにはいる。
私が以前、中国語を習った留学生先生は、日本語・中国語
教育が専門で、私を実験台にして「こういう説明で、
日本人は理解できるか」、「このニュアンスを伝えるために
適切な日本語は何か」など、たくさんの質問を投げかけて
自分の教育方法を確立しようとした。今では、ふるさとの
大学で、日本語科の主任教授になっている。こういう人は
例外的で、めったに遭遇することがない。確率から言えば、
先に年末ジャンボが当たってしまいそうな勢いである。

中級ぐらいまで進むと、ネイティブとの接触が楽しく、
学習のモチベーション向上にもつながるので、けっこう
メリットも多い。ただ初学のうちは、できるだけ、独学で
進めるところまで進み、経験の豊富な日本人の先生に矯正
してもらったり、説明してもらったりすると上達が速い。
とりあえずネイテイブからは、遠ざかるほうがよいと思う。

★本日の一文

自己打败自己的人远远多于让别人打败的人

他人に負かされる人より、自滅する人の方が遥かに多い。


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